レインメーカー株式会社は、「最新の情報技術で社会に散在・潜在するニーズを抽出し、需給をマッチングして世の中に『うるおい』を生み出す」をミッションとするスタートアップ企業だ。
創業者である代表取締役は、現役の弁護士。全国展開する弁護士法人グループの代表弁護士を兼任する。Webメディア事業を主軸としているが、2019年からはユーチューバーにも転身。会社自体も「YouTube」と「Webメディア」の融合によって新しい価値を生み出す事業に踏み出した。
岡野氏は高校卒業後に渡米した。大学進学を選ばなかった理由と、なぜニューヨークだったのかを尋ねると、
「当時から就職する気がゼロだったため、大学進学よりも実社会の成り立ちに興味がありました。ニューヨークを選んだのは、好きなハードコア・ミュージックが盛んだったことと人の縁です。何かの本で『マンハッタン島には20世紀のすべてが詰まっている。後世に20世紀を残すには、マンハッタン島を丸ごとタイムカプセルにして埋めればよい』というようなことが書いてあり、そのことも影響しました」と、淡々とした答えが返ってきた。
インターネットに出会ったのもこの頃だ。
「Windows95が出た時期で、インターネットに初めて触れてすごく面白いと思いました」(岡野氏)
東京に戻った後もバーテンダー、人材派遣コーディネーターなど、数々の仕事を経験したという。そんな日々の中、あるきっかけを境に、司法試験を受けることを決意する。
「2002年ころ、タイのパンガン島というレイブ(※ダンス音楽を一晩中流す大規模な音楽イベント)で有名な島があるのですが、その島に遊びに行った時に目覚めてしまって(笑) 就職せずに人並みに稼げる方法を探していたところ、高卒でも学歴不問で受験することができ、かつ日本最難関の試験として”一発逆転”的な要素があった旧司法試験を見つけて、『これだ!』と思い飛びつきました」(岡野氏)
受験を決意してからは、一日のほとんどを勉強に費やす生活へ一変。駅前自習室の受付などのアルバイトを掛け持ちしながら、勉強を始めてから5年、4回目の受験で見事に合格した。
司法試験に合格してからの行動も型破りだ。新人弁護士は、他の事務所で経験を積んでから独立するのが一般的だ。しかし、岡野氏は研修が終わると同時に、いきなり自分の事務所を立ち上げたのだ。
「研修期間中に色々な弁護士事務所を訪問させてもらい、基本的な業務であれば初年度から問題なく遂行できると感じました。問題は集客です。アメリカ時代から仲が良くニューヨークから帰国したばかりの友人にWeb制作やSEOを委託し、Webマーケティングの観点から、取り扱い分野を刑事事件のみに絞り開業しました」(岡野氏)
この戦略が見事に的中する。岡野氏が創業した弁護士事務所は、現在、全国9拠点に事務所を構える程の規模となり、順調な業績を誇る。ここで得たWebマーケティングの知見を活かして設立したのが、レインメーカー株式会社なのだ。
「弁護士として10年働いて、自分の特性を活かすためには、規制で守られた弁護士業界よりも、変化に富むテック業界の方が向いていると思いました。自由で柔軟性が高いマーケットの方が、水を得た魚になれる。世の中の変動から気付きや閃きを得て、ビジネスに落とし込んで社会に価値を生み出すことに、やりがいを感じます」(岡野氏)